Facebookのリスクフォーカス、メリットフォーカス。


日本でFacebookの普及を妨げているのは、実名主義ではない、かもしれない」「僕のとは違うな〜」と思うことや賛同出来る部分を感想として書いてみることにした。この記事を紹介する上で「フェイスブックはなぜ日本で普及しない?米国と日本、SNSの考え方に根本的な違いが」小久保 重信氏の記事である「日本のインターネットユーザーの2%弱にすぎないのに対して米国ではネットユーザーの60%がFacebookを利用していること」も紹介したい。

Facebook

Facebookのインターフェイスが、まず私にはよくわからないと言う人の為に!

night and sundialと言うブログの記事の「日本でFacebookの普及を妨げているのは、実名主義ではない、かもしれない」では、以下の文章が冒頭に脳科学者の茂木さんの引用がある。

日本でFacebookが伸びない理由を、日本のウェブの匿名文化と結びつけて論じる人もいる。しかし、私には、それが本質だとは思えない。
Facebookのインターフェイスが、まず私にはよくわからない。一時期のウィンドウズに対して抱いていた違和感と同じように、「ごみごみした」「整理されてない」印象を受ける。

この引用の匿名文化の問題にしているが、僕には良き文化であれば守るべきだし、悪しき文化であれば改善するべきではないかとさえ思う。

次にFacebookのインターフェイスについての茂木さんへの反論がみられた。”「決してただ「混乱」しているわけではないFacebookのインターフェイス」”のこのブログの筆者の反論は理解できる。しかし、正直、多くの日本人のユーザーがFacebookのセキュリティのためのフォームやインターフェースが取っ付きにくいと感じているのは事実であろう?それは、Facebookの機能がTwitterほどシンプルであればインターフェイスの問題となるだろう。言い換えれば、優れた機能が多いのだから当然、インターフェースはその機能を恩恵を受けていない人には馴染めないのは当然だろう。

Facebook iFrame Tunnel

Facebookにはソーシャルメディアのユーザーの心を知っているような機能が多い。しかし、インターフェイスもFacebook自体も茂木さんがFacebookでの体験が「良質なものとは思えない」と書いたのには同意出来る点もある。

茂木さんがFacebookでの体験が「良質なものとは思えない」書いていたが、残念なことを申し上げれば、それは茂木さんの友だちが「良質なもの」ではない、と言っているも同じではないだろうか。Facebookはシステムは情報を享受しやすくするための黒子、ただのハコであり、そこでの経験は、すべて友だちが放りこんでくれる写真やらツイートやらリンクやらにある。Facebookでの体験は友だちがすべてなのだ。

ソーシャルメディアに良質を求めるのは如何ですか?

本日封切りの映画ソーシャルネットワークを見て頂ければ理解できるように「マーク・ザッカーバーグは、良質な人間ではないと僕は感じている。しかし、彼は大衆の心を掴むのは天才的実行力の持ち主ではないか?」僕は思う。Facebookの設立前には女子学生の写真を集めランク付けをしたサイトを立ち上げた。男性でなくても女性でも見たくなってしまう企画であろう。

良質ではない心を誰でも持ち合わせているのではないか?人間の心の中には、嫉妬やお酒をやめられない人、煙草をやめられない人、ダイエットが出来ない人、不倫がやめられない人、、、、様々に良質でない心を持っている。「そんなことのすべてをひっくるめてソーシャルメディアではないのか?」と僕は考える。事実、ロケーションはハーバードであるのに「フェイスマッシュ」の人気は2時間で2万2000アクセスを記録が証明している。

2003年秋ハーバード大学2年生のマーク・ザッカーバーグはボストン大生の恋人のエリカと口論になり、「アンタがモテないのは性格がサイテーだからよ」と言われて振られてしまう。怒ったマークは酔った勢いも手伝ってブログに彼女の悪口を書き並べ、さらにハーバード大のコンピュータをハッキングして女子学生の写真を集め、ルームメイトで親友のエドゥアルド・サベリンの協力の下で女の子の顔の格付けサイト「フェイスマッシュ」を立ち上げる。サイトは瞬く間に話題となり、公開から2時間で2万2000アクセスを記録するが、4時間後には大学側に潰されてしまう。

ヤフー×モバゲー記者会見

facebookをフェイスブック記載する人には理解が出来ないだろう?

JB Pressの「フェイスブックはなぜ日本で普及しない?」の記事について
まず、基本的にFacebookを「ミクシィ(mixi)」「グリー(GREE)」「モバゲータウン」を同じ括り物事を判断する小久保氏のソーシャルメディアについての記事に疑問を思った。ソーシャルメディアやインターネット利用についての意識レベルが低い国民と高い国民との比較をしているようにしか思えない。日本のキャリア携帯とiPhoneやアンドロイドなどのスマートフォンを同じ括りにするようなものではないか?
ユーザー数は国内大手の10分の1以下ニューヨークタイムスの記事を引用している。

米国ではSNSは実生活の交流をネット上で再現するものとして捉えられているが、日本におけるSNSは、匿名性が要素になっていると伝えている。日本のネットユーザーは、たとえ人気のあるブロガーであってもニックネームなどを用いており、本名を公表しないことが多い。

簡単に言えば、マスメディアであるTV報道もこの実名性を無視した責任のない報道をすることがある。例えば良くあるのが、党トップを批判する報道で「ある○○党幹部の話」という報道があるが、そんなものなら僕でも記事を作ることが出来る。すなわち勝手な憶測でも記事出来る。また、責任のない言葉を公共の電波に簡単に載せる。
このように何かの情報を公表する時に基本的には実名のある情報とない情報では信頼性に大きなさが生じる。要するにまだ日本のユーザーのレベルが低いと考える方がいい。また、日本のネットユーザーは、ネット世界と現実の世界を区別しているが、僕も世界のユーザーもそんなことにはこだわりを持たない。もちろん、僕はデジタルネイティブではない。

ユーザー数は国内大手の10分の1以下

「実名公表は恐るるに足らず」が米国流とは?

MMD研究所の調査を下記に引用した。ここで僕が多くの人に伝えたいのが、ソーシャルメディアの概念である。日本のユーザーは、過去のSNNのイメージを保っているのではないのか?僕は想像する。つまり、Facebookのソーシャルメディアとは友達同士の会話ではなく、個人がメディアを持つと言うことではないでしょうか?友達を捜して友達とコミニュケーションを広げるだけならFacebookは必要ないようにも思える。

日本の携帯端末ユーザーの89%がネットで実名を公表することに消極的という。
このほか、米マイクロソフトがアジア11カ国のSNSユーザーを対象に行った調査では、SNS上の知人の中で親しい友人が占める割合は平均25%だった。
これに対し日本のユーザーは半数以上が、SNS上の知人で親しい友人は1人もいないと答えたという。

「実名公表は恐るるに足らず」

Florida girls in trouble with police after creating lewd fake Facebook profile for classmate  Read more: http://www.nydailynews.com/news/national/2011/01/14/2011-01-14_florida_girls_in_trouble_with_police_after_creating_lewd_fake_facebook_profile_f.html#ixzz1B40a9TVU

Florida girls in trouble with police after creating lewd fake Facebook profile for classmate

ソーシャルメディアのリスクにフォーカスするか?メリットにフォーカスすべきか?

Facebookの実名性のメリットはネット社会と実社会を同じ次元に捉えることが出来るようになる。「実名公表は恐るるに足らず」の引用に合ったように「個人情報の公開は犯罪の温床になると考え、その危険性を重大視する日本」と考えるのならそれは大きな間違えであって、匿名性が担保されればされるほど危険性は高まる。リスクをフォーカスすると更にリスクが高まるのではないかと僕は思う。そして、実名性のメリットには、ビジネスやり実社会では構築出来ない新しい人間関係の可能性が見いだすことが出来る。匿名性とは、陰口や責任のない発言を守ることである。更にもし間違った発言があれば訂正や失敗を許すことも必要なことだと僕は思う。そんなソーシャルメディアの社会は閉鎖的な日本文化の社会より僕は素敵な社会だとさえ思う。

安易な個人情報の公開は犯罪の温床になると考え、その危険性を重大視する日本。実名公表は恐るるに足らず、むしろ実社会の交流をネットで行えることを有益と見る米国。この違いが日本におけるフェイスブック普及の妨げになっていると言えそうだ。

僕のソーシャルメディアFacebookについての考え方

ソーシャルメディアとは、誰でもが解説出来る当たらし時代のメディアであって、「お友達増やそうメディア」ではないと僕は思う。新しいメディアであれば、現在のマスメディアのようなテイタラクな情報を発信しては行けないと思う。もちろん、情報の質の問題を良っているのではない。Facebookはお友達に贈る情報だから責任ある情報を公開することは当然であり、ネットとリアルの区別をつけるネットユーザーでは、得る物も差も大きいのではないどろう?とさえ思える。「Facebookは実に楽しい!」それでいいような気もする。使えない人はネットを実社会に活用出来ない人になってしまう。別にそれで人間の価値が変わる訳でもない。

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One thought on “Facebookのリスクフォーカス、メリットフォーカス。

  1. […] に生活している同級生を再会することもできない。そしてビジネスに結びつけることも出来ない。その辺のことはこのブログに書いた。Facebookのリスクフォーカス、メリットフォーカス。 […]